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如月日記

二月に始めるから如月日記

東京紀行 三、代官山の蔦屋書店

 今住んでいる町では欲しい本が近場の本屋に売っていないという悲しみに暮れることが多々ある。家の最寄りの書店は腹立たしいほどに売り方が下手なので、なおのことよくある。なんで『とと姉ちゃん』放送してる時に『暮しの手帖』コーナー作らへんの、みたいな感じで。

 ここで「欲しい本が明確に決まっているならAmazonで買えばいいじゃない。配送してくれるしポイントも付くで」という正論は野暮である。それくらい私だって知っている。何かこう、欲しいもの(きゅんとくるもの、かわいいもの、手に取ってじっくりと吟味したいもの)が店頭に売ってないという状況そのものに田舎っぽさを感じて悲しくなるという感覚の話をしている。

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 寒い雨の降る中でメトロを乗り継いで赴いた、噂に聞く代官山の蔦屋書店は立派であった。物量で視野をガンと殴られて購買意欲が燃焼し、それでもきっと手に取ることもないであろうありとあらゆる本のことを思うと泣きそうになった。結果、欲しかった本を中心に「何も旅先でこんなに重たい本を買うことは流石に阿呆じゃないの、」と呆れられて致し方ない買い物をしてしまった。欲しかった画集、綺麗な色見本、見たこともない可愛いアンソロジーの冊子、など。

 それと、村上春樹の翻訳コーナー、『暮しの手帖』と花森安治松浦弥太郎の本のコーナー、国立新美術館でやってるミュシャ展に関する書籍コーナー等、売り方が上手であって感動した。じゃんじゃんお金使いたくなる。贅沢は味方。経済を回すのは正義。久しぶりに本屋でわくわくした。

 

 昔、家の最寄りの大型書店が開店したての頃は、私は確か十歳だった。あの時は大型書店というだけで物珍しくてとても好きだったけど、大人になると本屋にも違いがあることを学んで、もう好きではなくなってしまったのが少しだけ寂しい。

 例えば代官山の蔦屋書店はとても好きになってしまったし、京都の恵文社も好きだし、新品が安く買える大学の生協書店も、掘り出し物が安く買えるブックオフも好きだ。

 それらに比べて好きになる要素がない本屋を好きになれないのは仕方ない。

 ついでに言えば香林坊と片町にあんな中途半端な東急ハンズとLOFTを金沢初出店させるくらいならブックオフにしてほしかった。

 

 最後に代官山の蔦屋書店の二階のカフェで食べた、海老と茸のドリアのセットの写真をあげる。これがまたとても美味しかった。

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東京紀行 二、鎌倉

 東京ですらない、タイトル詐欺。鎌倉と横浜にも足を伸ばしました。

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 鎌倉の大仏様を初めてみた。比べるものではないけど、奈良の大仏さんと比べるとちんまりしている。青空の下でのどやかであった。いいお顔だ。

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 その他、横浜の中華街で晩飯を食うなど。比べるものではないけど、台湾の中華街(夜市)と比べると「日本」って感じ。食べログ一位! とか看板に書いてあるお店あった。

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 夜、横浜は都会。

 

 あと江ノ島も遠くから眺めた。スラムダンクの舞台は湘南だと思い出すにつけても、海がきらきらに輝いていて、こんなところで高校生やってたらドラマチックな青春を送りかねないと思ってしまった。

東京紀行 一、TDL

 3/17、およそ十年振りに東京ディズニーランドに行ってきた。十余年の間に私の知っているTDLではなくなっていた感がある。「制服ディズニー」とか「双子コーデ」とか、知らない世界が始まってた。

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 アナと雪の女王フローズンショウの最終日だったので人が多かった気がする。ディズニーに詳しい友人曰く、シーの方も大事なショウの最終日だったのでより激混みだったとか。

 フローズンショウはプロジェクションマッピングで、特徴のある建物に映えてとても面白いと思った。映画、なかなか面白かったのを思い出した。

 ともあれ、座り込んで場所取りとかしてたら尻が冷えたし、三月の東京は意外と寒くて着ていくコートを間違えた。スプリングコートはまだ早かった。

 ちなみにこの「着ていくコートを間違えた感」はこの後五日間ずっと続く。

旅行の途中

 東京巡りも六日目、今日の新幹線で帰沢する。ほぼ一週間だから長い旅行になった。

 旅の途中に返事がめんどくさいタイプのLINEを受け取ることがデフォになりつつある。ねえ諸君、私は常にそんな適当な返信をする女ではない。君らのタイミングが悪いだけなんだ。だから稀に適当な返信を貰ったくらいでこれ見よがしにTwitter上で落ち込まないでください。

 

 帰ったら、久しぶりの上京模様を備忘録として書くつもりでいる。

殆ど衝動買い

 読むものがなくて、まとめサイトの巡回にも飽きて、本屋へ走った。気に入ったものなら同じ本を繰り返し読むのも全く厭わないけども今日は気分が違った。

 最寄りの本屋で、平積みされている『騎士団長殺し』をじっと見つめたあげく、まだ買わない。村上春樹好きとして時が満ちるのを待っている。つまり今は気分が乗る頃合いじゃない。

 

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 無駄遣いしたい気分とアンケートで貰った図書カードがあったので、使い尽くしてまとめ買いをしてしまった。

 マイブームの森見登美彦をやはり選ぶ。「いい加減に同じ作者の本ばかり買い集めるのはやめなさい」と諭されそうだけど、十余冊の著作なら集めてしまいたいと思ったので結局買う。古本でもよいのだけど、近所に古本屋がないのが悪い。

 宮沢賢治漱石の方は、表紙がかわいかったのでまんまと買ってしまった。読んだことがあるようでない。四回生のとき漱石の後期三部作のどれかを読んでいたのをお気に入りのブックカバーごと講義室で失くして見つからなかった哀しみを思い出す。悲しがって漱石から遠ざかっていたのが勿体無い。

 集めた本が本棚に入りきらないが、これは本棚の使い方が下手だからだと思う。一等使いやすい高さの段に高校の頃の参考書が並んでるのは流石にまずい。二十余歳の女の本棚にしては頭が悪い配架だ。片付けなくてはいけない…。

稀代の文通上手に学びたい

 森見登美彦『恋文の技術』読了。たいへん笑って元気が出た。

 これは石川県七尾に島流し(陸の孤島の研究室に派遣)されて京都を恋しがる男子学生が主人公なので、京都に縁ある石川県在住民としてはグッとくるものがあった。

 情理を尽くして鮮やかな手紙を何十通も書き連ねる主人公、いい。文通がしたくなること請け合いだ。

 無趣味な自分を鑑みて “文通” を趣味に据えようかと思ったけど、そんな閉鎖的に濃厚な趣味に沈没したらますます友達が少なくなりそうだからやめておく。小説は御都合主義的なフィクションだから楽しそうなのだし、フィクションなのだから御都合主義おおいに万歳である。

 

 「情理を尽くす」という言葉は好きだけども、先月いろいろあって神経を擦り減らしながら得た教訓は、「どれほど情理を尽くした言葉も常套句には敵わない」ということだった。

 ‪森見登美彦風に言うところの「俺としては未練など全くないが彼女の方から復縁を望むのであればそれを潔く受け入れるにいささかもやぶさかでない」みたいな果てしなくきもい発想の夢見すぎ元彼氏の話である。

 情理を尽くして拒絶したのに、「まあ一応(サークルの同期として)友達でいようや」という常套句のほうを彼は選んで縋った。

 まあまあ落ち込む。常套句は強い。どうせ常套句しか耳に残らないのであれば「さようなら、もう二度と逢わない」くらい言えばよかった。

始動に震える

 窓の外が眩しいので「もしや晴れているのでは?」と思ったが、チラと覗くと安定の曇り空だった。金沢の冬はそう簡単には晴れない。

 しかしここで気づく。

「冬、とっくに終わってない?」

 

 この春にやりたいことリスト

 一年ぶり二度目の学部の卒業式に出向く。

 「冷徹無慈悲で針のむしろ」と悪名高い社会に船出する前に、心優しき友人たちに会って無沙汰を詫びなければならない。

 あと理由はないけど福岡に行きたい。(たぶん無理、計画性とアクティブさが足りない。)

 四月は姉と山陽を旅する予定があるが、詳細が皆無だ。しかしこれはなんとか実現させたい。

 公開を待ちわびている映画を、二回もしくは三回観る。複数回観るに耐え得る面白さがあることを願う。

 

 

優しい世界

 長い長い人生の夏休みも残すところおよそ三週間となるが、実に長かった。

 留年させてください。って言ったときの両親の反応が「まじかよー」とか「追加の学費は貸しだからね」くらいで本当に精神的に助かったと思っている。感謝してもしきれない。

 昔から「勉強しなさい」とか「上昇志向を持て」とか言わない親だった。

「箸と鉛筆を正しく持て」

「人を跨ぐな」

「継続は力なり」

我が家の教えはこの三点に絞られていたような気がしないでもない。

 

 今のところ、誰も私を責めないし追い詰めもしない優しい世界に生きている。私を責めたり追い詰めたりするのは暗い自分が時々勝手にやってるくらいのものである。しかし

私「職場にセクハラジジイやパワハラジジイがいたらどうしよう」

父「どんな環境にも必ずいる」

私「働きたくねえ」

父「社会は針のむしろやで」

私「働き始めた友人が誰一人として幸せに働いているように見えない」

父「社会はお人好しが損をするシステムやからな」

私「そういえば我が友は皆んな人がいい人ばっかりだな」

父「そういうことだ」

 

 まだ働いてないけど働きたくない。高等遊民になりたい。

返事に困るのはコミュ障だからかしら

 初々しい保険屋お姉さんがうちに来て、彼女の前で財布を出したら、「青の財布は風水的に金運が下がりますよ!!!」と猛烈な駄目出しをされた。お前何しに私と話してんねん。ご用は保険商品の契約でしょうが。

 サイドに控えるベテランの保険屋ばーさんは、私のスマホがケース無しの裸であることがいたく驚きであったらしく、なぜケースを付けない、今時の若い子はカラフルなケースをいくつも持っているものなのに、と余計な御世話的持論を一通り展開していた。

 お二方に台湾土産の凍頂烏龍茶をお出ししたら、ばーさん「今時の若い子は本当にオカネモチで遊び歩いてばかりですね」と母に語りかけていた。

 あの。

 あんまり仲良くなれそうにない人達だなあ。どうしたものか。

『迷子犬と雨のビート』

 撮り溜めた再放送のアニメ『四畳半神話大系』で爆笑していた。男の純情と貞操回ともいうべき6,7,8話でこれほど笑っていたら父上が悲しむに違いない。

 表題の『迷子犬と雨のビート』は上記アニメの主題歌のアジカンの曲で、アジカンはそんなに詳しくないけれど、この曲はとても琴線に触れたというかぐっときたのでiTunesで曲買っちゃった。

 “人々は厚い雲で顔を隠して

 行き場のない想いをずっと持って研いでいる

 何もない街に埋もれてもそれでも今でも”

 ここが好き。京都を舞台にしたアニメの主題歌であるせいも多分にあるけど、それにつけてもついこの間までの京都で無為に過ごした時を思い出す。

 京都市の名誉のために断っておくと、京都は決して “何もない街” ではない。 むしろ何でもある華やかな街だと思う。学生街だから若者が多いし、言わずと知れた観光地であるからグローバルにもドメスティックにも観光客だらけ、しかもそれは年々増えているらしい。花も紅葉も見所多い。個人的には喫茶店と書店と郵便局が充実している点に住み良さを感じる。

 胸を打ったのは “何もない街” ではなく “街に埋もれてもそれでも” である。 

 何だか自由な気持がして無為に暮らしていると、街に埋もれている気がした。いつも自転車に乗ってどこにでも行っていたからというのもあるかもしれない。川端通りの桜の下を過ぎたときの春の清々しさや、雨で下宿から出られなくて腹減らしてた時や、十月初旬の賀茂大橋の寒さに風邪引いたことを思い出す感じがする。

 『四畳半神話大系』の「私」が無意義な学生生活を嘆くみたいに私も自分の平凡さを嘆きたくなる時もあったけれど、郷里に引っ込んだ今となってはこのアニメを見て主題歌を聴いていると、どちらかというとその無為で平凡な暮らしを繰り返したくなる。

 何が言いたいかというと、京都はいいところだよっていう話になる。

 

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