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如月日記

二月に始めるから如月日記

稀代の文通上手に学びたい

 森見登美彦『恋文の技術』読了。たいへん笑って元気が出た。

 これは石川県七尾に島流し(陸の孤島の研究室に派遣)されて京都を恋しがる男子学生が主人公なので、京都に縁ある石川県在住民としてはグッとくるものがあった。

 情理を尽くして鮮やかな手紙を何十通も書き連ねる主人公、いい。文通がしたくなること請け合いだ。

 無趣味な自分を鑑みて “文通” を趣味に据えようかと思ったけど、そんな閉鎖的に濃厚な趣味に沈没したらますます友達が少なくなりそうだからやめておく。小説は御都合主義的なフィクションだから楽しそうなのだし、フィクションなのだから御都合主義おおいに万歳である。

 

 「情理を尽くす」という言葉は好きだけども、先月いろいろあって神経を擦り減らしながら得た教訓は、「どれほど情理を尽くした言葉も常套句には敵わない」ということだった。

 ‪森見登美彦風に言うところの「俺としては未練など全くないが彼女の方から復縁を望むのであればそれを潔く受け入れるにいささかもやぶさかでない」みたいな果てしなくきもい発想の夢見すぎ元彼氏の話である。

 情理を尽くして拒絶したのに、「まあ一応(サークルの同期として)友達でいようや」という常套句のほうを彼は選んで縋った。

 まあまあ落ち込む。常套句は強い。どうせ常套句しか耳に残らないのであれば「さようなら、もう二度と逢わない」くらい言えばよかった。

始動に震える

 窓の外が眩しいので「もしや晴れているのでは?」と思ったが、チラと覗くと安定の曇り空だった。金沢の冬はそう簡単には晴れない。

 しかしここで気づく。

「冬、とっくに終わってない?」

 

 この春にやりたいことリスト

 一年ぶり二度目の学部の卒業式に出向く。

 「冷徹無慈悲で針のむしろ」と悪名高い社会に船出する前に、心優しき友人たちに会って無沙汰を詫びなければならない。

 あと理由はないけど福岡に行きたい。(たぶん無理、計画性とアクティブさが足りない。)

 四月は姉と山陽を旅する予定があるが、詳細が皆無だ。しかしこれはなんとか実現させたい。

 公開を待ちわびている映画を、二回もしくは三回観る。複数回観るに耐え得る面白さがあることを願う。

 

 

優しい世界

 長い長い人生の夏休みも残すところおよそ三週間となるが、実に長かった。

 留年させてください。って言ったときの両親の反応が「まじかよー」とか「追加の学費は貸しだからね」くらいで本当に精神的に助かったと思っている。感謝してもしきれない。

 昔から「勉強しなさい」とか「上昇志向を持て」とか言わない親だった。

「箸と鉛筆を正しく持て」

「人を跨ぐな」

「継続は力なり」

我が家の教えはこの三点に絞られていたような気がしないでもない。

 

 今のところ、誰も私を責めないし追い詰めもしない優しい世界に生きている。私を責めたり追い詰めたりするのは暗い自分が時々勝手にやってるくらいのものである。しかし

私「職場にセクハラジジイやパワハラジジイがいたらどうしよう」

父「どんな環境にも必ずいる」

私「働きたくねえ」

父「社会は針のむしろやで」

私「働き始めた友人が誰一人として幸せに働いているように見えない」

父「社会はお人好しが損をするシステムやからな」

私「そういえば我が友は皆んな人がいい人ばっかりだな」

父「そういうことだ」

 

 まだ働いてないけど働きたくない。高等遊民になりたい。

返事に困るのはコミュ障だからかしら

 初々しい保険屋お姉さんがうちに来て、彼女の前で財布を出したら、「青の財布は風水的に金運が下がりますよ!!!」と猛烈な駄目出しをされた。お前何しに私と話してんねん。ご用は保険商品の契約でしょうが。

 サイドに控えるベテランの保険屋ばーさんは、私のスマホがケース無しの裸であることがいたく驚きであったらしく、なぜケースを付けない、今時の若い子はカラフルなケースをいくつも持っているものなのに、と余計な御世話的持論を一通り展開していた。

 お二方に台湾土産の凍頂烏龍茶をお出ししたら、ばーさん「今時の若い子は本当にオカネモチで遊び歩いてばかりですね」と母に語りかけていた。

 あの。

 あんまり仲良くなれそうにない人達だなあ。どうしたものか。

『迷子犬と雨のビート』

 撮り溜めた再放送のアニメ『四畳半神話大系』で爆笑していた。男の純情と貞操回ともいうべき6,7,8話でこれほど笑っていたら父上が悲しむに違いない。

 表題の『迷子犬と雨のビート』は上記アニメの主題歌のアジカンの曲で、アジカンはそんなに詳しくないけれど、この曲はとても琴線に触れたというかぐっときたのでiTunesで曲買っちゃった。

 “人々は厚い雲で顔を隠して

 行き場のない想いをずっと持って研いでいる

 何もない街に埋もれてもそれでも今でも”

 ここが好き。京都を舞台にしたアニメの主題歌であるせいも多分にあるけど、それにつけてもついこの間までの京都で無為に過ごした時を思い出す。

 京都市の名誉のために断っておくと、京都は決して “何もない街” ではない。 むしろ何でもある華やかな街だと思う。学生街だから若者が多いし、言わずと知れた観光地であるからグローバルにもドメスティックにも観光客だらけ、しかもそれは年々増えているらしい。花も紅葉も見所多い。個人的には喫茶店と書店と郵便局が充実している点に住み良さを感じる。

 胸を打ったのは “何もない街” ではなく “街に埋もれてもそれでも” である。 

 何だか自由な気持がして無為に暮らしていると、街に埋もれている気がした。いつも自転車に乗ってどこにでも行っていたからというのもあるかもしれない。川端通りの桜の下を過ぎたときの春の清々しさや、雨で下宿から出られなくて腹減らしてた時や、十月初旬の賀茂大橋の寒さに風邪引いたことを思い出す感じがする。

 『四畳半神話大系』の「私」が無意義な学生生活を嘆くみたいに私も自分の平凡さを嘆きたくなる時もあったけれど、郷里に引っ込んだ今となってはこのアニメを見て主題歌を聴いていると、どちらかというとその無為で平凡な暮らしを繰り返したくなる。

 何が言いたいかというと、京都はいいところだよっていう話になる。

 

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黒髪の乙女

 黒髪を長く伸ばす髪型でいると、数年前に一世を風靡しかけた壇蜜に似ていると言われる。そう言われるとそこはかとなくマズイ気がするので、短く切るか、伸ばすのであれば適当な色に染髪しておく。

 黒髪にこだわりがあったわけではないが、髪にお金掛ける必要性を感じない時期が長かった。でも結局何だっていいのだ。毎日じゃなくてもいい、時々でいいから「自分可愛い」と自分を褒めてあげて人生を楽しく過ごせたらいいなあと、そのために髪を染めてテンション上げるくらいのことは必要経費だと思うようになった。自分を大事にしてくれるのは自分だけだと諸々の経験から気付いたことからの実践の一つで、吹けば飛ぶような薄くてちっちゃい自己実現である。

 ちなみに「いちども染めたことのない私の自慢の黒髪♡」とかのたもうてる女はたいていパーマあててる。ただの経験則だけど。

髪色事情

 夏の終わりから伸ばし始めた髪が肩についてくるくるするようになった。三年前の成人式の後に結構な長さがあった髪を短くして以来長いことショートヘアであって、結構気に入っていたのに今一度髪型を変えようというその心は、長い髪をさっぱりと切ったときの清々しさを久しぶりに味わいたいという迂遠な理由からである。自分でもよく分からない動機だと思う。

 ここにきてしかし、髪が長いとシャンプーするのが大変だという至極当たり前の事実に差し向かってしまい、まだまだ伸ばすという決意が揺らいでいる。

 年始に髪の毛先を整えてもらおうとヘアサロンを訪れた時のこと。艶々と光る流行りのグレージュの髪を綺麗に非対称にセットした美容師のお姉さんに「どれくらい髪伸ばすんですかあ?」と訊かれて「飽きるまで」と答えたら、そういうことではなかったらしく、「えと、肩口までとか? 背中までとか?」と返答に困ったような受け答えをさせてしまった。

 そんなことより美容師のお姉さんの髪色があまりにも綺麗で、それがグレージュと言うのだと訊いて、似たような色に染めてもらった。

 四月から働く職場は割と固いところなので髪色の自由度は高くない気がするが詳しくない。こうも未来の自分の職場に興味が薄いのもどうかと思う。

紫式部日記を知っている人

 四月から社会に出て働く。直近二年のだるんだるんな最終学年生活、内実は半ニート生活に首まで浸ってた私が、規則正しく毎朝出勤することができるようになるのか甚だ心配だ。他人事みたいに応援したくなる。

 文学部卒のうえに一留した如何にもボンクラな私を雇ってくれる組織は、父上曰く、「ブラックやで。頑張り。」なところらしい。

 

私「阿呆のフリして閑職に配属されたい」

父「阿呆のフリって難しいよ」

私「せやねえ。千年も前に紫式部が『阿呆のフリしてたら馬鹿にされるのも悔しいのう』って言ってるもんねえ」

父「それな、紫式部日記な。どうせなら人生頑張った方がいいよ」

私「父上はほぼ定時に帰ってくるし暇そうやんね?」

父「年功序列や。頑張り」

 

 父上、あなたは偉い。私頑張る。

映画化する『夜は短し歩けよ乙女』

 好きな本が別メディアとなってより多くの人の目に触れるようになるって嬉しい。嬉しくない?

 「原作のイメージが壊れる」とか「ニワカファンが増えても困る」と言う人も多いけど、私は基本的には嬉しい。メディアの違いを理解する優良な受信者として有り難く享受し、願わくば原作のファンが増えてくれと祈るのみである。映像化から原作に入ることもままあるし。(ただし例外はあって、『ノルウェイの森』の映画化、お前は許さない。)

 

 森見登美彦原作『夜は短し歩けよ乙女』アニメーション映画化、成功してほしいなあ。アニメ『四畳半神話大系』と同じスタッフが結集すると言うからかなり安心しているが、それにしても主演の星野源氏には首尾よくやってもらいたい。

 気分を高めるため、再放送の『四畳半』を余さず録画して繰り返し鑑賞するほか、『乙女』の原作も読み返している。原作たいへん面白い。この冬は森見氏の作品『四畳半』『夜行』『恋文の技術』『きつねのはなし』『宵山万華鏡』『太陽の塔』を初読再読あい混ぜてざざっと読んできて、どれもこれも面白いけど『乙女』はやっぱり華があって好きだなあと思った。森見登美彦作品は全部好きと言っても過言ではないけど、人に薦める一冊と言ったらやっぱり『乙女』であろう。次点で『走れメロス』。

 

 既に映画の前売りチケットは入手したが、京都二条のTOHOシネマズで購入したそれがなんと金沢にはない映画館のものであるためここでは使えないという凡ミスをおかしている。仕方がないので、週末に帰省する姉にそれは半値で売って、春になったら新宿か錦糸町で見てもらうとする。

 イオンシネマで使える前売り、早く買わねば。

深夜枠

 春休みの宿題みたいな、課題ではないけど課題みたいな、自分の卒論を今一度推敲してリニューアルするという地獄みたいな作業をやっていた。

 何が嫌かって、自分の書いた気に入ってない文章を読み直すことほど苦痛なものはない。

 自分の書いたことで例えばtwitterのTLで誰かをクスッとさせることはたまにはできるかもしれない。しかし論文やレポートはそれ用の文章ではない。我が論文やレポートの文章力、非常にださいので困っている。「おまえ五年も大学居てて何学んできたの」と方々から非難轟々を覚悟するようなへなちょこな論証しかできないのでこれは「笑止千万」ていうやつだろう。

 つらい

 さらにクソ野郎なことには、既に教授へ送る筈の締め切りを過ぎている。

私「もう三月?」

締切(二月末)「さようなら」

私「教授、ごめんなさい」

四月「もうすぐ会いにいくよ」

 あとひと月で労働者になるなんて信じられない。私は高等遊民になりたい。