如月日記

二月に始めるから如月日記

稀代の文通上手に学びたい

 森見登美彦『恋文の技術』読了。たいへん笑って元気が出た。

 これは石川県七尾に島流し(陸の孤島の研究室に派遣)されて京都を恋しがる男子学生が主人公なので、京都に縁ある石川県在住民としてはグッとくるものがあった。

 情理を尽くして鮮やかな手紙を何十通も書き連ねる主人公、いい。文通がしたくなること請け合いだ。

 無趣味な自分を鑑みて “文通” を趣味に据えようかと思ったけど、そんな閉鎖的に濃厚な趣味に沈没したらますます友達が少なくなりそうだからやめておく。小説は御都合主義的なフィクションだから楽しそうなのだし、フィクションなのだから御都合主義おおいに万歳である。

 

 「情理を尽くす」という言葉は好きだけども、先月いろいろあって神経を擦り減らしながら得た教訓は、「どれほど情理を尽くした言葉も常套句には敵わない」ということだった。

 ‪森見登美彦風に言うところの「俺としては未練など全くないが彼女の方から復縁を望むのであればそれを潔く受け入れるにいささかもやぶさかでない」みたいな果てしなくきもい発想の夢見すぎ元彼氏の話である。

 情理を尽くして拒絶したのに、「まあ一応(サークルの同期として)友達でいようや」という常套句のほうを彼は選んで縋った。

 まあまあ落ち込む。常套句は強い。どうせ常套句しか耳に残らないのであれば「さようなら、もう二度と逢わない」くらい言えばよかった。