返事に困るのはコミュ障だからかしら
初々しい保険屋お姉さんがうちに来て、彼女の前で財布を出したら、「青の財布は風水的に金運が下がりますよ!!!」と猛烈な駄目出しをされた。お前何しに私と話してんねん。ご用は保険商品の契約でしょうが。
サイドに控えるベテランの保険屋ばーさんは、私のスマホがケース無しの裸であることがいたく驚きであったらしく、なぜケースを付けない、今時の若い子はカラフルなケースをいくつも持っているものなのに、と余計な御世話的持論を一通り展開していた。
お二方に台湾土産の凍頂烏龍茶をお出ししたら、ばーさん「今時の若い子は本当にオカネモチで遊び歩いてばかりですね」と母に語りかけていた。
あの。
あんまり仲良くなれそうにない人達だなあ。どうしたものか。
『迷子犬と雨のビート』
撮り溜めた再放送のアニメ『四畳半神話大系』で爆笑していた。男の純情と貞操回ともいうべき6,7,8話でこれほど笑っていたら父上が悲しむに違いない。
表題の『迷子犬と雨のビート』は上記アニメの主題歌のアジカンの曲で、アジカンはそんなに詳しくないけれど、この曲はとても琴線に触れたというかぐっときたのでiTunesで曲買っちゃった。
“人々は厚い雲で顔を隠して
行き場のない想いをずっと持って研いでいる
何もない街に埋もれてもそれでも今でも”
ここが好き。京都を舞台にしたアニメの主題歌であるせいも多分にあるけど、それにつけてもついこの間までの京都で無為に過ごした時を思い出す。
京都市の名誉のために断っておくと、京都は決して “何もない街” ではない。 むしろ何でもある華やかな街だと思う。学生街だから若者が多いし、言わずと知れた観光地であるからグローバルにもドメスティックにも観光客だらけ、しかもそれは年々増えているらしい。花も紅葉も見所多い。個人的には喫茶店と書店と郵便局が充実している点に住み良さを感じる。
胸を打ったのは “何もない街” ではなく “街に埋もれてもそれでも” である。
何だか自由な気持がして無為に暮らしていると、街に埋もれている気がした。いつも自転車に乗ってどこにでも行っていたからというのもあるかもしれない。川端通りの桜の下を過ぎたときの春の清々しさや、雨で下宿から出られなくて腹減らしてた時や、十月初旬の賀茂大橋の寒さに風邪引いたことを思い出す感じがする。
『四畳半神話大系』の「私」が無意義な学生生活を嘆くみたいに私も自分の平凡さを嘆きたくなる時もあったけれど、郷里に引っ込んだ今となってはこのアニメを見て主題歌を聴いていると、どちらかというとその無為で平凡な暮らしを繰り返したくなる。
何が言いたいかというと、京都はいいところだよっていう話になる。
黒髪の乙女
黒髪を長く伸ばす髪型でいると、数年前に一世を風靡しかけた壇蜜に似ていると言われる。そう言われるとそこはかとなくマズイ気がするので、短く切るか、伸ばすのであれば適当な色に染髪しておく。
黒髪にこだわりがあったわけではないが、髪にお金掛ける必要性を感じない時期が長かった。でも結局何だっていいのだ。毎日じゃなくてもいい、時々でいいから「自分可愛い」と自分を褒めてあげて人生を楽しく過ごせたらいいなあと、そのために髪を染めてテンション上げるくらいのことは必要経費だと思うようになった。自分を大事にしてくれるのは自分だけだと諸々の経験から気付いたことからの実践の一つで、吹けば飛ぶような薄くてちっちゃい自己実現である。
ちなみに「いちども染めたことのない私の自慢の黒髪♡」とかのたもうてる女はたいていパーマあててる。ただの経験則だけど。
髪色事情
夏の終わりから伸ばし始めた髪が肩についてくるくるするようになった。三年前の成人式の後に結構な長さがあった髪を短くして以来長いことショートヘアであって、結構気に入っていたのに今一度髪型を変えようというその心は、長い髪をさっぱりと切ったときの清々しさを久しぶりに味わいたいという迂遠な理由からである。自分でもよく分からない動機だと思う。
ここにきてしかし、髪が長いとシャンプーするのが大変だという至極当たり前の事実に差し向かってしまい、まだまだ伸ばすという決意が揺らいでいる。
年始に髪の毛先を整えてもらおうとヘアサロンを訪れた時のこと。艶々と光る流行りのグレージュの髪を綺麗に非対称にセットした美容師のお姉さんに「どれくらい髪伸ばすんですかあ?」と訊かれて「飽きるまで」と答えたら、そういうことではなかったらしく、「えと、肩口までとか? 背中までとか?」と返答に困ったような受け答えをさせてしまった。
そんなことより美容師のお姉さんの髪色があまりにも綺麗で、それがグレージュと言うのだと訊いて、似たような色に染めてもらった。
四月から働く職場は割と固いところなので髪色の自由度は高くない気がするが詳しくない。こうも未来の自分の職場に興味が薄いのもどうかと思う。
紫式部日記を知っている人
四月から社会に出て働く。直近二年のだるんだるんな最終学年生活、内実は半ニート生活に首まで浸ってた私が、規則正しく毎朝出勤することができるようになるのか甚だ心配だ。他人事みたいに応援したくなる。
文学部卒のうえに一留した如何にもボンクラな私を雇ってくれる組織は、父上曰く、「ブラックやで。頑張り。」なところらしい。
私「阿呆のフリして閑職に配属されたい」
父「阿呆のフリって難しいよ」
私「せやねえ。千年も前に紫式部が『阿呆のフリしてたら馬鹿にされるのも悔しいのう』って言ってるもんねえ」
父「それな、紫式部日記な。どうせなら人生頑張った方がいいよ」
私「父上はほぼ定時に帰ってくるし暇そうやんね?」
父「年功序列や。頑張り」
父上、あなたは偉い。私頑張る。
映画化する『夜は短し歩けよ乙女』
好きな本が別メディアとなってより多くの人の目に触れるようになるって嬉しい。嬉しくない?
「原作のイメージが壊れる」とか「ニワカファンが増えても困る」と言う人も多いけど、私は基本的には嬉しい。メディアの違いを理解する優良な受信者として有り難く享受し、願わくば原作のファンが増えてくれと祈るのみである。映像化から原作に入ることもままあるし。(ただし例外はあって、『ノルウェイの森』の映画化、お前は許さない。)
森見登美彦原作『夜は短し歩けよ乙女』アニメーション映画化、成功してほしいなあ。アニメ『四畳半神話大系』と同じスタッフが結集すると言うからかなり安心しているが、それにしても主演の星野源氏には首尾よくやってもらいたい。
気分を高めるため、再放送の『四畳半』を余さず録画して繰り返し鑑賞するほか、『乙女』の原作も読み返している。原作たいへん面白い。この冬は森見氏の作品『四畳半』『夜行』『恋文の技術』『きつねのはなし』『宵山万華鏡』『太陽の塔』を初読再読あい混ぜてざざっと読んできて、どれもこれも面白いけど『乙女』はやっぱり華があって好きだなあと思った。森見登美彦作品は全部好きと言っても過言ではないけど、人に薦める一冊と言ったらやっぱり『乙女』であろう。次点で『走れメロス』。
既に映画の前売りチケットは入手したが、京都二条のTOHOシネマズで購入したそれがなんと金沢にはない映画館のものであるためここでは使えないという凡ミスをおかしている。仕方がないので、週末に帰省する姉にそれは半値で売って、春になったら新宿か錦糸町で見てもらうとする。
イオンシネマで使える前売り、早く買わねば。
深夜枠
春休みの宿題みたいな、課題ではないけど課題みたいな、自分の卒論を今一度推敲してリニューアルするという地獄みたいな作業をやっていた。
何が嫌かって、自分の書いた気に入ってない文章を読み直すことほど苦痛なものはない。
自分の書いたことで例えばtwitterのTLで誰かをクスッとさせることはたまにはできるかもしれない。しかし論文やレポートはそれ用の文章ではない。我が論文やレポートの文章力、非常にださいので困っている。「おまえ五年も大学居てて何学んできたの」と方々から非難轟々を覚悟するようなへなちょこな論証しかできないのでこれは「笑止千万」ていうやつだろう。
つらい
さらにクソ野郎なことには、既に教授へ送る筈の締め切りを過ぎている。
私「もう三月?」
締切(二月末)「さようなら」
私「教授、ごめんなさい」
四月「もうすぐ会いにいくよ」
あとひと月で労働者になるなんて信じられない。私は高等遊民になりたい。
台北旅行記 その3 烏龍茶と茶器
予定のない土曜日の午後、居間で寛いで読書にも飽きてきたら、とっておきのワインを開けて昼間から飲酒する背徳を味わいたい。
という思い付きの白昼飲酒妄想を恥ずかしげもなく披露したら友人Sが苦笑いしてた。私だって苦笑する。昼間からのエチル・アルコールに対して過度に非日常的期待を抱いてはいないし、そもそも家にとっておきのワインはない。
ワインを干すかわりに私はよくお茶を飲む。お茶は好き。一人分だけ淹れて一人で飲むミルクティの癒しの効果を知った時から、何かしらのお茶のストックを切らしていない。
台北でも自分土産のお茶をざっくり購入した。
烏龍茶と一口に言えどもその種類はいろいろあるらしい。なんかステキなお茶の葉のお店でたくさん試飲をいただいて、〈東方美人茶〉と〈凍頂烏龍〉の二種を選んだ。香りが良くて多幸感に包まれる。
茶器も購入。一人用の、蓋付き茶漉し付きのマグカップ的なカップで、青地に赤い花がかわいい。
家族用にかわいい急須が欲しいなあとも思ったのだけど、台湾の急須と湯呑みはとてもちっちゃくて、徳利と猪口くらいのサイズ感であった。趣味で欲しい感じはしたけれど、実用的ではないのであった。
ともあれ青のカップはかわいい。生活に癒しが増えたみたいで心洗われる。
台北旅行記 その2 九份
台北二日目には台湾の山のほう? にあるという九份を訪れた。
ツアーガイドのお兄さんに「行きは良いとして、帰りはまともな路線バスも流しのタクシーもないので帰ってこられませんヨ」と忠告されたので、大人しくオプションツアーを追加で申し込みツアーバスの席を確保する。九份に行きたい御仁は気をつけたほうがいいと思います。
九份は山間の歓楽街、基本的に常に雨、との前情報に備えて折り傘を持って行ったのだけれど、我々の滞在中は運が良く雨が止んでいた。直前までの雨でつやつやと濡れて街の明かりを乱反射する地面と、テーマパーク並みに混雑する人の波に半ば朦朧としながら、「この中で誰もが傘を差したらなんぼか刺さって痛かろうなあ」と考えていた。夜の九份は(主に日本語を話す)人で溢れかえっていた。
ツアーバスの中でのガイドお姉さん曰く、「九份、お茶、大切。九份に来てお茶飲まずに帰る、これ九份に来たことにならない。阿妹茶楼でお茶飲みましょう」とのことだった。しかしツアーで与えられた行動時間ではゆっくりとお茶屋さんで烏龍茶を嗜む時間はなかった。残念、我々は九份に来たことにならなかったっぽい。解せない。
座ってお茶する時間はなかったが、買い物と夜景を心から楽しんだ。
花文字を描く職人さんに双囍のかわいい字を描いてもらった。姉へのお土産にお茶のパックを買った。『千と千尋の神隠し』の監督が発想を得たという街並みを堪能し、カオナシの雰囲気のある変なお面も見た。
夜の九份、赤い提灯と坂と階段、人混み、霞に煙る夜景、かなり良かったです。また台湾に来ることがあったとしてももう一度行きたい。
台北旅行記 その1 食べたもの編
友人Sと二人で台北へ行ってきた。
修学旅行で訪れて以来の二度目の台湾、残念ながらその修学旅行でなぜか少しも楽しめなかった台湾、なんか無闇にたらふく食べさせられた挙句あんまり面白くない思い出ばかりが記憶に残っている台湾に、リベンジ旅行に行って参った。
今回のこの卒業旅行は、打って変わってとても充実して楽しかったのでとても良かった。これは旅行記の備忘録である。
まずは食べたものから。
3泊4日の間に食べたもの
初日
機内食、鼎泰豊の小籠包と炒飯と湯葉入りほうれん草のおいしいやつ、マンゴーのミルクかき氷
二日目
ホテルの朝食、ラズベリーのジェラート、安くておいしい豚丼みたいなやつ、辛くない火鍋、タピオカ入りのジャスミン茶
三日目
朝食、トマト牛肉の刀削麺、夜市で食べ歩いた肉まん、飲む杏仁、棒付き寒天ゼリー、おまけして沢山くれたフルーツ、大蒜の効いた唐揚げ
最終日
朝食、鶏肉と野菜の丼、マンゴーフラペチーノ、機内食
誇張なく、まじで何食べても美味しかった。
本場もんのマンゴーは勿論、生の果物はいずれも濃くてフレッシュで。肉類は独特の香辛料が効いていて味がしっかりしていた。煮込んでやわくなった牛肉の解けるような旨味が忘れられない。何より野菜が美味しかった。菜っ葉がきれいな青で、そこが小汚い大衆食堂であっても引きも切らない人気店であっても、新しい良いものを食べている感が半端なかった。
それから、ちょいちょい登場する湯葉が個人的に超ヒットだった。湯葉、豪快、美味すぎる。豆腐のある国に湯葉あり、ということなのかは知らないけれど、嵐山とかでちまちま食べる湯葉より格段に美味しかった気がする、たぶん。
夜市で食べ歩いたのが良い気分だった。我々の時の修学旅行は夜市はおろか自由行動そのものがなかったので憧れが募りに募っていたのもある。賑やかでお祭り騒ぎで、人いきれに食べ物の匂いと電飾の煌々とした色と足の疲れの気だるさが混ざって、非現実的な旅行者気分を味わった。もちろん確かに旅行者だった。